たかが世界の終わり レビュー
こんにちは、世界と戦っているおーえるです。
今日自分が就活中に書いてるブログをみて笑いました
自分じゃないみたい。死ぬ勇気はないけど生きる元気もないっていってた
あんた生きてるから大丈夫だよ、仕事はくそつまんないけどね、といってあげたい
昨日有楽町のヒューマントラストシネマで 新鋭の監督「クザヴィエ・ドラン」のたかが世界の終わり っていう映画を見てきたよ
トムアットザファームは渋谷の小さな小さな映画館、アップリンクでやってたね。やってるな、と思って見ていません。
どんどん公開劇場が大きくなってて世間から注目度の高さが伺えます
そしてお洒落映画好きの皆さんがこぞってインスタにあげている。そんなドラン監督
クザヴィエ?グザヴィエ?だけでもインパクト大なのに、ドランだからね
もうなんだか新鋭感が名前からも溢れています
マミーをみて、なかなか可愛いパッケージに反した中身と、oasisのwonderwallが凄まじく心に突き刺さり、一度見たら忘れない映画になりました。いや、もう一度みる勇気がない。wonderwallのシーンは最高なんだけど、心が苦しすぎて、しばらく見れない。美しいんだけど、痛い。それはまるで3年まえに登った富士山のようです。
それましたが、たかが世界の終わり。
たかが、と世界の終わり。どういう意味なんだろ、
少し厨二心を引き寄せるタイトルです。
全くあらすじを読まずに観にいきました。
12年ぶりに実家に帰るムスコ、ルイ。
どうやら自分の死が近いらしく、それを伝えに戻ってきた。
それを出迎える母、妹、兄、兄嫁。
けばけばの母に、頭の悪そうな妹、短気な兄に、つまらない兄嫁。
開始早々、なんだか嫌な予感を感じる。
そんな中に突如戻ってきた才能の溢れる劇作家で美青年のルイ。
もう明らかにルイとそれ以外の空気が違う。
ルイだけ洗練されたオーラを身にまとっている。
母、兄、妹は、品がないのである。
すぐに始まる口喧嘩。終わらない皮肉。
そんな中悲しそうに、その空気に溶け込んでいる、溶け込まされている兄嫁。
この兄嫁は、マリアンヌにも出演中のフランスの美人女優さん。名前が出てこない。
大好きなBIGFISHにも出ていたひと。
超美人なのに、超不幸そう。なんで兄と結婚したんだろ・・って思うはず。
主人公のルイは、口喧嘩にも参加しない。いや、できないのか
時折ふっと微笑むのは、そんな空気さえ愛おしいと感じているからなのか、
12年前に出て行ったことを後悔していない安堵からなのか・・・
ルイは主人公なのに、全然話さない。
汗と、目の動きで、存在を伝える。
死が近いことを伝えに来たのに、話し出すこともできず、時間は過ぎる
みんな年をとったのに、言い争いは絶えない
その光景は、ルイにどう映ったのだろうか
家族の繋がりというものは、切り離したくてもなかなか離せない
言い争っていても、また元どおりで朝が来るなら、それは幸福だと思う
ルイはその輪に入りたかったのか?
ルイの静けさが逆に浮いていて、静と動、死と生みたいな対比感がよくわかる
あと汗がすごい
総じて暑苦しい
それがさらに家族を苛立たせるし、見てるこっちもモヤモヤしてくる
ルイの死が近い理由もわからなかった。
病気なのか、自死する気なのか。
どちらにせよ、はっきり答えのない映画。
ヒロインもいなければ、ロマンスもない、
起承転結もない、そんな映画。
でも嫌でも家族に惹きつけられるし、
ああもう一回みたいなと思ってしまう。
新鋭だなあ